電話06-6491-6339〒661-0971兵庫県尼崎市瓦宮2-18-15 掲載の楽器可賃貸は杉原土地有限会社の自社物件
年中無休8:00-18:00スマートフォンに演奏した楽曲を入れてご見学下さい
小社サイトにご訪問頂いた皆様へ
私はこのサイトを運営する杉原正治です。社内では社長と宅地建物取引主任者の職務をさせて頂いております。
小社は昭和33年 前社長である杉原とくが園田の地で創業しました。当時では珍しいお部屋ごとにタイルの流しが設備された台所付きのアパートを建設致しました。これは創業当時より入居者様に便利で清潔なアパートを提供することを社是した結果です。
時代が進むにつれてテレビアンテナ・水洗便所・お風呂・二重ロック・エアコン・シャワー・給湯付き・BSアンテナ・ケーブルテレビ・シャンプードレッサー・防犯カメラ・自動販売機・無料インターネット・壁紙貼り・宅配ボックス・ベランダ・バルコニー・ダウンライトと間接照明などの設備を付け足していきました。
ロフト付きにも改装をして段階的ですがそのロフトもご入居者様にとってより良いものになるように進化させていきました。 お部屋はいつも設備を更新してフローリング・クロス貼りで新装しています。
また住みやすいように防音にも力を入れています。 もちろん安全は大切ですので防犯については創業当初より考えております。
この間の昭和62年により経営を合理化するため法人化して杉原土地有限会社ができました。
平成20年頃に以前よりの入居者が楽器をお部屋で思いっ切り弾きたいと言う要望がありました。 その要望にお応えするため防音室を作りました。当時は手探りの状況で防音については文献で知る程度でしたが試行錯誤を繰り返し問題のないものが出来ました。
少し大げさすぎますが 防音室 作ってみました。 防音室はいろんな方法で作れますが 安価な材料で 簡単に手に入るものを 用いて作ります。はじめはこのお部屋で実験します。
昨日作りました 防音室の実験室について 音の減衰について測定しました。 結果 ○防音室内に 業務用掃除機を置きます。 測定値87dB ○吸音材を防音室の中に置くと 測定値83dB ○実験室外 扉付近測定値63dB 扉と反対側付近58dB ○階下 階下での測定暗騒音と同じ30dB 考察 作った防音室は 0.7平方メートル 天井高1.8mしかないので 相当反響音が大きいようです。 実際に作る防音室は6畳程度を目指していますので 同じ騒音源でも 80dB程度になると考えられます。 吸音材を置くと 相当低減が見られます。 扉の遮音効果は20dB 壁の遮音効果は25dB 壁の数値は扉からのものがあるので 実際の数値ではない 階下での測定はできていません。 別の測定では 設置室と階下の減衰は45dB程度です 扉を遮音して 再度測定します。 防音室の実験室について 再度音の減衰について測定しました。 結果 ○防音室内に スポンジの上に ディスクグラインダーを置く ※ディスクグラインダーは振動が大きく スポンジに置かないと 防音室全体が揺れ その揺れが お部屋の床を通じて 騒音の低減はほとんどない。 階下でも 固体伝導音でない音なら 45dBなのに 40dBになってしまいます。 測定値90dB ○実験室外 扉付近測定値70dB 扉と反対側付近65dB ○階下 階下での測定暗騒音と同じ30dB ●扉に遮音シート12mm合板貼り ○実験室外 扉付近測定値65dB 扉と反対側付近60dB ○階下 階下での測定暗騒音と同じ30dB 考察 ディスクグラインダーを 防音室床に直に置くと 防音室全体が揺れて 階下でも42dBとなってしまった。 防音室の実験室を移設しました。 移設先は鉄筋コンクリート造で 相当防音性はあるのですが もっと確保するために 防音室を 作ってみようと思い 先駆けて 防音室の実験室を 持ってきました。 結果 ○防音室内に スポンジの上に ディスクグラインダーを置く 測定値90dB ○実験室外 扉付近測定値70dB 扉と反対側付近65dB ○隣室 隣室での測定暗騒音と同じ30dB 考察 暗騒音以下で測定できません。 ●共鳴透過を防ぐために吸音材の利用についての実験 音の性質として 太鼓の両側の皮のように 防音壁が相対して隣接している場合 音が防音壁の間を相互に反射して 共鳴する性質があります。 共鳴すると 音は大きくなります。 太鼓やギターなどのような楽器は この性質を利用しています。 これを防ぐには 相対している防音壁の間に 吸音材を入れる方法です。 実験室と お部屋の壁について 共鳴透過を 検証してみました。 実験室をお部屋の壁を 20cm程度離して設置します。 吸音材を入れずに測定すると 70dB 吸音材を入れて測定すると55dB ついに ”30dB減衰達成” 木製扉で 30dBの減衰を得るのは 少し難しいと思っておりましたが 戸当たりを二重にしたら 30dB達成できました。 通常の木製ドアでは 20dB程度でしたが 種々の工夫で できたみたいです。 経費はさほど要りませんが 相当 工夫が要るようです。 木製扉なのに 30dBの減衰を達成できた 扉の付いた防音室の 総合的な評価を 今日しました。 隣のお部屋については行って 暗騒音以下というか 聞こえなかったのですが、 今日は 階下の部屋での 測定です。 測定の結果は 隣と同じで 暗騒音以下で 聞こえませんでした。 相当の効果です。 これなら 楽器可能マンションに 作れると思います。 ●まとめ 今回作った 防音室は 防音室単体で 30dBの減衰 です。 防音室と既存お部屋の 吸音処理によって 35dB程度の減衰を得られる見込みです。 ただし 防音室に 直接音源が 触れないのが条件です。 ギターやフルートなどのような手持ち楽器限定です。 ドラムやベース・キーボードなどは 固体伝導音が 遮断できるような 設備が別途必要です。
小社としては大がかりな実験今では防音技術は相当習得したと自信を持っております。楽器も出来る防音室付アパートを作り始めました。
今後ともがんばりますのでよろしくご指導・ご鞭撻をお願い致します。商号又は名称 杉原土地有限会社 代表者氏名 杉原正治 主たる事務所 尼崎市瓦宮2-18-15 免許証番号 兵庫県知事(3)第203296号 有効期間 平成20年10月21日から平成25年10月20日まで 宅地建物取引業法第3条第1項の規定により、 宅地建物取引業者の免許を与えたことを証する。 平成20年10月20日 兵庫県知事 井戸敏三 印 宅地建物取引業者は宅地建物取引業法を遵守することが 義務づけされています。 その主なものは次の三点です。
正式法人名 杉原土地有限会社 代表者取締役 杉原正治 (弊社には、取締役がひとりしかいませんので上記の者が、代表です。) 宅地建物取引主任者 杉原正治(専任) 当サイト責任者 〒661-0971 兵庫県尼崎市瓦宮2-18-15 宅地建物取引業免許 兵庫県知事免許(3)第203296号 お問い合わせ先 メール 電話06-6491-6339 フリーダイヤル:0120-621079 (大阪・兵庫から通じます。携帯電話も可能)返信メールです
休日 年中無休 (但し宅地建物取引主任者が不在の場合がありますのでご連絡下さい。) 園田駅前店 阪急園田駅下車南出口西に線路つたいに50m 園田駅前支店は、弊社物件のみを、賃貸しています。
杉原土地有限会社の沿革 杉原正治 杉原土地有限会社は大阪梅田から電車と徒歩でゆっくり歩いて23分の一級河川藻川の河畔にアパートを持っています。 創業は昭和33年 創業者は私の母杉原とくです。 私は 母が36歳の時 昭和27年に生まれました。 田植えも終わり 畑のイチゴが 最盛期になった 6月の25日に生まれました。 私が生まれた村は 当時日本のどこにでもあった 農村というか 寒村というか 貧しい村でした。 私の家族は その村で 農家を営んでいました。 特にその村で 貧しいわけでもなく もちろんお金持ちでもありませんでした。 父や母 歳の離れた兄は 朝は朝星 夜は夜星で 働いていました。 父や母兄は働き者ですが 村の人たちの ほとんどの人は そんな風に働いていましたから 特に 私の家族だけが 働き者というわけではありません。 わが家の家計は 自給自足状態ですので 食糧以外は 質素倹約の極みです。 もっと簡単に言えば 「その日暮らしです」 でもそのぎりぎりの生活が 父の病気で 大きな転機を迎えます。 私が5歳の時です。 父が病気になって 農業に従事できる人間が 少なくなると 農業では 生計を立てられなくなりました。 父の世話もして 家事もこなして 家計を支えなければならない母は 事業を興すことをしました。 大阪から 近く 駅からも近いという 立地もあって 貸し家業にしました。 父が持っていた畑が 園田の駅から徒歩で5分の 便利な所にあったので そこに 小さな貸し家を建てることにしたのです。 その畑は 藻川の河畔にあって 環境もよかったのです。 母は 経費節約のため 家の近くにあった 使われなくなった納屋を 移築することにしたのです。 大方のことは 大工さんにしてもらったのですが 母は 屋根の瓦を洗ったり 木を運んだりして 手伝ったそうです。 駅から近かったので すぐに入居者にも恵まれ 我が家の 貴重な現金収入になります。 初めて建てた 長屋が うまくいったので 母は もう少し収入をあげるために もうちょっと 大きな貸家を建てることにしました。 初めて建てたのは いわゆる長屋と いうものです。 母は 次に建てる貸家を どのようなものにするか 迷っていました。 世情に合わせると 同じ 長屋でした。 でも 昭和34年ごろは アパートというものが 新しく建っていたのです。 中廊下で 両側に 部屋があって 押入があるものです。 台所と トイレは 共同のものでした。 母は 先進的な ものが好きで アパートを建てることにしました。 でも お部屋に 台所を 取り付けることにしたのです。 入居者が少しでも便利になれば良いと考えたのです。 トイレについては 当時は くみ取り式で 普通は 家の外に作ることが当たり前で お部屋のそばに作ることなど 全くの御法度です。 部屋の近くにあったら 夏 目がしみてしまいます。 お風呂については バスユニットというような 防水性に優れたものが なかった時代ですので 建物の寿命がながくなるように 付けませんでした。 アパートから 200mの所に お風呂屋さんがあったので そこを使ってもらうことにしました。 母が建てることにしたアパートの 建設費は 農協から借りることにしました。 借りる約束もでき 建設が始まりました。 当時としては最新の設備が 付いていました。 当時では 大変珍しい ガスや タイルの流し 呼び出し電話 などです。 ほとんど 完成したので 建設会社は お金を請求してきました。 母は お金を 貸してもらえるはずの 農協に行きました。 でも 農協は 金融情勢が変化したとか言って お金を貸して下さらないのです。 そこで 困ったのは 母です。 もうすぐ完成なのに 代金が支払えないのです。 大変困った母は 尼崎市の玉江橋の国道筋にある 銀行街に 新たに貸してくれる銀行を探しに東から順に 訪れていきました。 昼も過ぎ 3時頃になって もう銀行街の 西端まで来たとき やっと貸して下さる 銀行に出会うことができました。 母は その時 うれしかったそうで 何度も私に話してくれました。 アパートの 家賃は 相場の一畳1,000円で 4.5畳のお部屋は4,500円 6畳のお部屋は すこし値引いて5,500円にしました。 時は高度成長期 田舎から たくさんの人が 大阪に働きに来て アパートは 盛況でした。 すぐに借金を返して 母は 私の養育費や教育費を 得ることができたのです。 それから 昭和35年に もうひと棟の アパートも建てました。 アパートの名前は 「藻川荘」と言います。 アパートが建っている 敷地の横に 藻川と呼ばれる 川が流れていたのに 由来しています。 藻川は 国が管理している 1級河川で アパート付近では 川幅が200m近くあります。 水に関係ある 川の名前を アパートの名前に付けると 火事にあわないと 言われて 母が名付けました。 我が家の家計は このふたつの アパートの収入で 当分の間は 何とかなっていました。 こんなこともありました。 私が中学生になった 昭和42年頃 隣の駅の 塚口まで 買い物に歩いて行って 帰ってきたとき 私に 「モータープールを始めようと思う」 と言ったのです。 その頃は まだ駐車場のことを モータープールと呼ぶとは 知られていませんでしたので 私は 「モータープールって どんなプール? 水泳場でも 作るの」と 聞いたくらいです。 母は 最初に この地で 青空の貸し駐車場の経営を 始めたのです。 しかし 我が家には 経費が多いので 昭和45年頃になると 赤字になってしまします。 この赤字の原因は 私が 私学の大学に 行くことになったことも 原因のひとつです。 そこで もっと 建て増すことを 計画しました。 母が 54歳の時のことです。